日本の問題

渋沢栄一が我々に残したもの

大阪経済大学客員教授・経済評論家
岡田 晃 氏

今年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一は日本資本主義の基礎を築いた人物だが、波乱万丈の前半生は意外に知られていない。

現在の埼玉県深谷市の豪農の家に生まれて幕末に尊王攘夷思想に目覚め、23歳のとき「高崎城を乗っ取った後、横浜の外国人居留地を焼き討ちにして外国人を斬り殺す」という攘夷と倒幕の決行を計画した。だが計画は直前に中止に追い込まれる。渋沢は身を隠すため京都に上ったが、幕府に嫌疑をかけられたことを知る。

進退きわまったが、縁あって一橋家の家臣となることができた。不本意な転身だったが、ここで渋沢は財務などを担当し実績を上げていった。ところが、一橋家の当主だった慶喜の15代将軍就任に伴い、渋沢も幕臣に"異動"となった。かつての敵だった幕府の一員となったのである。またも不本意な転身だった。

次の大きな転機は1867年のパリ万博に幕府が代表団を派遣することになり、随行を命ぜられたこと。渋沢は同万博とその後1年半の欧州滞在で、資本主義の仕組みや制度について身を以って学んだのだった。その経験を生かし、明治になって日本初の銀行や証券取引所をはじめ、約500に上る企業を設立することになる。まさに、ピンチをチャンスに変えた人生だった。

現代の我々も「新型コロナ禍」を乗り越えて新たな時代を切り開くことができるはず。そう思わせてくれる。

2021年2月15日

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岡田 晃氏

1947年生まれ。
日本経済新聞社産業部記者、編集委員、テレビ東京の「ワールドビジネスサテライト(WBS)」マーケットキャスター、経済部長、WBSプロデューサー、テレビ東京アメリカ社長などを歴任し、2006年に経済評論家として独立。同年大阪経済大学客員教授にも就任。

岡田 晃(おかだあきら)