日本の問題

上杉鷹山に学び危機突破を!

大阪経済大学客員教授・経済評論家
岡田 晃 氏

新型コロナウイルスの感染が再び拡大、回復しかけていた景気はなお厳しい状況が続きそうだ。危機を乗り切るうえで先人の知恵に学ぶことは重要。ここでは、江戸時代きっての名君と評される米沢藩主・上杉鷹山(1751~1822年)を取り上げたい。

当時の米沢藩は度重なる飢饉と疫病、そして農村荒廃と藩財政破綻という経済危機に見舞われていた。そんなさなかに藩主に就任した鷹山は「自助・互助・扶助」の「三助の思想」を掲げ、危機克服に乗り出した。「自助」として、米以外の作物栽培を奨励し、各戸の生垣に食用植物を植えさせた。「互助」として村ごとに5人組などを組織、「扶助」として領内各地に備蓄用の米蔵を建設した。

間もなく江戸時代最大の飢饉「天明の大飢饉」が日本列島を襲った。全国で餓死者・病死者が百万人以上に達したといわれ、東北では多くの藩で数万人規模の死者が出た。しかし、米沢藩では備蓄米の全戸緊急支給などで1人の餓死者も出さなかったという。「三助」が功を奏したのだ。

鷹山はまた藩財政の再建と領民の生活安定のため農地を開墾させ、地場産業を育成した。こうして農村の人口は増加に転じ、藩財政も何年か後には黒字化を果たしたのだった。

現在になぞらえれば、経済活性化と成長戦略であり、「コロナ対策と経済回復の両立」だ。さらに菅首相は「自助・共助・公助」を打ち出している。まさに時宜にかなった方針である。

2020年11月24日

過去記事一覧

岡田 晃氏

1947年生まれ。
日本経済新聞社産業部記者、編集委員、テレビ東京の「ワールドビジネスサテライト(WBS)」マーケットキャスター、経済部長、WBSプロデューサー、テレビ東京アメリカ社長などを歴任し、2006年に経済評論家として独立。同年大阪経済大学客員教授にも就任。

岡田 晃(おかだあきら)