スポーツ百話

空飛ぶウイングNZで羽ばたく

今から半世紀前の1968(昭和43)年、世界屈指のラグビー大国であるニュージーランド(NZ)でその名をとどろかせた日本のラガーマンがいた。坂田好弘氏。高校時代にラグビーを始め、同志社大学在学中に初めて全日本メンバーに選出。卒業後は近畿日本鉄道(近鉄)に入社し、運命の1968年、名将・大西鐡之祐監督率いる全日本のNZ遠征メンバーに選ばれた。

相手はオールブラックス・ジュニア(23歳以下のNZ代表)。圧倒的な体格差がある選手たちを相手に、全日本はスクラムから素早く球を出してパスを回す攻撃で仕掛け、ウイングの坂田氏が4トライを奪って23-19で勝ち、大金星を挙げた。試合後、坂田氏は「空飛ぶウイング・サカタ」と地元で絶賛された。

その後、坂田氏はNZへ留学して選手として活躍。1975(昭和50)年1月15日の日本選手権を最後に現役を引退した。2012年にアジア人初の「国際ラグビー殿堂」入りを果たした。
(隔週で掲載します)

2018年12月17日