女子陸上界のパイオニア
日本の女子陸上界のパイオニアともいえるのが戦前に活躍した人見絹枝氏。日本の女性選手として初めて五輪に出場し、メダリストにもなった。
国際舞台に初登場したのは1926(大正15)年にスウェーデンで開かれた国際女子競技大会。走り幅跳びと立ち幅跳び優勝、円盤投げ2位、100ヤード走3位の記録を残し、鮮烈なデビューを果たした。
2年後の1928(昭和3)年5月に開かれた国内の選手権大会では非公認ながら100m走で世界記録(12秒4)を樹立。その余勢を駆って、この年の7月に初めて女子陸上競技の開催が実現したアムステルダム五輪に臨んだ。最も自信をもって挑んだ100m走は準決勝で敗退したものの、残る800m走にかけて決勝まで進出、後半の猛スパートで2位に入り、日本女性初のメダル(銀)を獲得した。
快挙達成から3年後、人見氏は肺炎のため死去した。24歳、早すぎる死だった。(隔週で掲載します)
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