フジヤマのトビウオ躍進
戦争による競技生活の中断、学徒動員中の左手中指切断、そして敗戦国として参加を許されなかった戦後最初の五輪…。そんな様々な苦難を乗り越えて、非公式記録も含めた世界記録を次々に打ち立て、戦後の日本を熱狂させたのが、水泳の古橋廣之進氏だ
終戦の年に日本大学に入学した古橋氏は水泳を再開。1947(昭和22)年の日本選手権の400m自由形で優勝、公式記録にはならなかったものの当時の世界記録を上回った。翌年7~8月のロンドン五輪に日本は参加を許されなかったが、日本水泳連盟は五輪と同じ日程で日本選手権を開催。古橋氏はここでも400mと1500mの自由形で、世界記録を上回った。
そして、日本水泳連盟が世界水泳連盟に復帰を許された1949(昭和24)年の8月にロサンゼルスで開かれた全米選手権に出場。古橋氏は400m、800m、1500mの自由形3種目で、世界新記録を樹立。「フジヤマのトビウオ」と称賛された。
(隔週で掲載します)
2018年8月27日
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